かわいい子には旅をさせよ その1
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ゆみちゃん、開運の旅★心震えるところ2
出発まであと 152日
かわいい子には旅をさせよ
意味は「子供がかわいいなら、甘やかさないで、世の中のつらさを経験させたほうがよい<小学館デジタル大辞泉>」ですが、
実際に「旅」から学ぶことは本当にとても多いのです
私が「旅」にのめり込んでいったきっかけは、
25歳過ぎに、32日間かけてヨーロッパ建築を見て回った旅でした
今日はこの旅について振り返りたいと思います
30年以上も前のことです、システム開発の仕事に就いていた私は、
あまりの激務に過労で2度の入院
建築業界へ転職するために2級建築士の資格を取得し、設計事務所の仕事へ就く前に、
ヨーロッパ建築を見て回る旅に出ました
1991年2~3月のことです
最初こそヨーロッパ建築を見て回る旅に浮かれていたのですが、
英語話せない、海外旅行経験ほぼゼロ(ツアーで韓国のみ)、
今回はツアーでなく完全個人旅行、それも32日間のヨーロッパ周遊・・・
今思えば、かなり無謀にも思えますが、航空券やホテルの手配を依頼した旅行会社の方から、
「相手は人間ですよ!何も恐れることはない。例えば、ホテルにスーツケースを持った人が入って来て、
指を一本立てたら(人差し指限定。他の指だと誤解を生みます)、宿泊客だと思って対応します。」
「飛行場でも飛行機降りたら、他の乗客が歩いていく方へ一緒に歩いて行けば出口です。」
「困ったら、とにかく知っている単語で話しかける、絵を描く、そうすれば、言いたい事は通じます。」
そう言われて、そんなもんか~と行く気満々になったものの、実際に出発が近づくと、怖い!
やっぱり怖い!英語なんて話せない!どうしよう・・・の気持ちが大きくなり、
怖気づく気持ちが強くなったその時、湾岸戦争勃発!!!1991年1月のことでした
なんてラッキー!
大見得切って「ヨーロッパ建築見て回るんだ~」なんて友人知人に言っていたので、
今更キャンセルなんて恥ずかしくて出来ない状況で、2月出発直前に湾岸戦争が勃発しました
大手旅行会社は軒並みヨーロッパ旅行を中止しています
私もこれでキャンセルの大義名分が出来上がりました
しかし、当時婚約中だった今の夫に「危ないからキャンセルしようと思うの」と告げたところ
「いやぁ~、ヨーロッパも日本も同じだよ~、ヨーロッパが危ない状況だったら、日本も危ないんじゃないか~
ひと月もヨーロッパを回れるなんて、こんな機会を逃すことないと思うよ~」と・・・・ガックシ・・・
というわけで、胃が痛くなる様な心配をしつつ、私は成田からヨーロッパへ旅立ったのです(ToT)
結論から言うと、この旅は行って正解でした
私のこの後の人生がこの旅によって決まったと言っても過言でないほど、強く私に影響したからです
今でも忘れられない道中の沢山の出来事の内、特に記録したいことは、
明日の「その2」に書きたいと思います
↓写真は旅行中、食事中に日記代わりに書いていたメモです
この旅を通して私が学んだことは、「案ずるより産むが易し」ということ
頭で考えるよりは行動に移す!やってダメなら諦めもつくけど、
行動もしないでウダウダ言っているのは論外です
困ったことでも、実は何とかなること
諦めなければ、事態は動き出して好転していくこと
夜明けの来ない夜はない
どんなことにも必ず終わりはある
そして、自分は自分が思っているより、ずっと強くてタフで賢かったこと
始めて心底、自己肯定感を感じたような気がします
当時はデジカメがまだ出回っておらず、一眼レフカメラにフィルムを入れて撮る
どんな写真を撮ったのかは、帰国後現像して初めて判るという時代
カメラバックにキャノンの一眼レフカメラを入れて、ヨーロッパ建築を見て回ったことは、
生涯忘れることが出来ないでしょう^^
明日へ続く・・・・
最後に、現在の旅との違いについて列記してみます
●インターネットは全く一般に普及しておらず、ADSL以前の時代です
出発前に旅行情報は、地球の歩き方と各国の大使館などから資料を郵送していただいていました(トップ写真)
●海外旅行に安全なお金と言えば、「トラベラーズチェック」という旅行小切手
この小切手を銀行などで現金化していました(サインを2か所にして初めて使用可能)
●日本への連絡手段は郵便や電話で、場所によっては電話もオペレーター経由でした
●カメラは全てフィルム撮影、間違って感光させたりしようものなら、全てパーになってしまいました